ボクが教壇に立っていたとき。
テスト形式の演習
↓
解答用紙回収、解説
↓
翌週、成績発表
これを繰り返す講座も任されていました。レベルは『極めて難』といっていいでしょう。毎週の演習は当然内容が違いますが、たまに、前の週と全く同じ問題を出します。
生徒達が息を呑むのがわかります。復習しない馬鹿者があぶり出されるわけです。
勉強なんていうものは定着させたもん勝ちです。定着させるには復習。そんなの当たり前です。
しかし、その復習する『タイミング』を誤ると効果が激減するので厄介です。
ある日の学習を復習したいとき、一回目に復習すべきタイミングはいつでしょう?二回目は?
正解は、一回目は当日夜の就寝前。二回目は翌日朝。
テスト形式の演習
↓
解答用紙回収、解説
↓
翌週、成績発表
これを繰り返す講座も任されていました。レベルは『極めて難』といっていいでしょう。毎週の演習は当然内容が違いますが、たまに、前の週と全く同じ問題を出します。
生徒達が息を呑むのがわかります。復習しない馬鹿者があぶり出されるわけです。
勉強なんていうものは定着させたもん勝ちです。定着させるには復習。そんなの当たり前です。
しかし、その復習する『タイミング』を誤ると効果が激減するので厄介です。
ある日の学習を復習したいとき、一回目に復習すべきタイミングはいつでしょう?二回目は?
正解は、一回目は当日夜の就寝前。二回目は翌日朝。
大和撫子養成所【父塾】
またまた大学受験の立場からの物言いですが…
勉強法に絶対はありません!
誰にも通用する『これさえやれば十分』、そんな塾も参考書も問題集も存在しません!
難関大学受験の世界ではこれってまず異論の出ない常識なんですけど、成績の悪い一部(とりわけ自分の成績を直視出来ない夢見る系)の生徒に限っては極論、過激派、原理主義に走る傾向があります。
で、自分で組み立てた学習法に妙に自信を持ち、それが絶対であると思い込む。特定の講師(参考書)に精神的に依存する。
非常に厄介な現象です。が、まともな受験生にとってはどうでもいい話です。講師にとって厄介なんです。
どころが、中学受験の世界では、といってもボクはまだ片足を突っ込んだかどうかなんですが、その手の魑魅魍魎が跋扈しているではありませんか。
ボクは常々幼児教育や右脳教育に否定的なのは、自分の意見を持ち得ない幼児と、その幼児に対する盲目的なまでの親心に対し、再現不能な人体実験を行い、それで法外な金銭を得ていることに対して義憤を感じるからに他なりません。
それと似たようなことが中学受験の世界にもある。
勉強を得意にするなんて特別な苦労が必要ではないはずです。よく読み、よく手を動かし、よく考えれば子どもは勝手に成長するでしょう。親も塾も、それをアシストすればいいだけでしょう。
極論に走る必要なんか全くない。
ダビスタじゃないんだから。娘はゲームの駒ではないんだから。
勉強法に絶対はありません!
誰にも通用する『これさえやれば十分』、そんな塾も参考書も問題集も存在しません!
難関大学受験の世界ではこれってまず異論の出ない常識なんですけど、成績の悪い一部(とりわけ自分の成績を直視出来ない夢見る系)の生徒に限っては極論、過激派、原理主義に走る傾向があります。
で、自分で組み立てた学習法に妙に自信を持ち、それが絶対であると思い込む。特定の講師(参考書)に精神的に依存する。
非常に厄介な現象です。が、まともな受験生にとってはどうでもいい話です。講師にとって厄介なんです。
どころが、中学受験の世界では、といってもボクはまだ片足を突っ込んだかどうかなんですが、その手の魑魅魍魎が跋扈しているではありませんか。
ボクは常々幼児教育や右脳教育に否定的なのは、自分の意見を持ち得ない幼児と、その幼児に対する盲目的なまでの親心に対し、再現不能な人体実験を行い、それで法外な金銭を得ていることに対して義憤を感じるからに他なりません。
それと似たようなことが中学受験の世界にもある。
勉強を得意にするなんて特別な苦労が必要ではないはずです。よく読み、よく手を動かし、よく考えれば子どもは勝手に成長するでしょう。親も塾も、それをアシストすればいいだけでしょう。
極論に走る必要なんか全くない。
ダビスタじゃないんだから。娘はゲームの駒ではないんだから。
大和撫子養成所【父塾】
かつて大学受験の講師として何千人もの生徒の難関大受験(主に医学部受験)に関わりました。
受講生の出身高校は半分くらいが御三家やそれに類する名門校で、なかなか刺激的な日々でした。それまでボクの知らなかった公立高校の子が開成や筑駒をギャフンと言わせることも珍しくなく、或いはそういった超一流高校の生徒でも東大や京大(の医学部)に手も足も出ない姿を見てきました。逆に「さすが筑駒!」「さすが灘!」のように、舌をまく英才が目立ったのも一流高校の生徒でした。
そういうボクが娘と向き合ったとき、彼女を評価する物差しはあくまでもそういう「既に大学受験期を迎えた元中学受験生」と、「子どものときのボク」でしかありません。言い換えれば、信頼に足るようなデータの持ち合わせがないのです。
しかし、あくまでもその視線で娘を評価すると、もちろん親の贔屓目ですら歯痒い面もありますが、ひとつ期待していいんじゃないかと思うのは「集中力」です。
例えば三時間ぶっ通しで算数を教えても彼女の思考は弛みません。ボクもタフなので、休みの日などは「気付けば半日経過」「昼ご飯を食べたと思ったらもう夜!?」なんてのもザラです。本気になれば朝から晩までいけるでしょう。
娘の異質な集中力は幼児期から明らかでした。そしてそれを鍛えたのは間違いなく「妻の絵本の読み聞かせ」です。だって小学校にあがるまで、毎日何時間も絵本の読み聞かせに充ててきたのですから。詳しくはこちらの記事。
幼児が飽きないよう抑揚をつけ、即席の唄を交え、その時々に一番食いつきやすいと予想される絵本を選出し、ノイローゼになることもなく毎日子育てしてくれた妻には感謝、感謝です。
受講生の出身高校は半分くらいが御三家やそれに類する名門校で、なかなか刺激的な日々でした。それまでボクの知らなかった公立高校の子が開成や筑駒をギャフンと言わせることも珍しくなく、或いはそういった超一流高校の生徒でも東大や京大(の医学部)に手も足も出ない姿を見てきました。逆に「さすが筑駒!」「さすが灘!」のように、舌をまく英才が目立ったのも一流高校の生徒でした。
そういうボクが娘と向き合ったとき、彼女を評価する物差しはあくまでもそういう「既に大学受験期を迎えた元中学受験生」と、「子どものときのボク」でしかありません。言い換えれば、信頼に足るようなデータの持ち合わせがないのです。
しかし、あくまでもその視線で娘を評価すると、もちろん親の贔屓目ですら歯痒い面もありますが、ひとつ期待していいんじゃないかと思うのは「集中力」です。
例えば三時間ぶっ通しで算数を教えても彼女の思考は弛みません。ボクもタフなので、休みの日などは「気付けば半日経過」「昼ご飯を食べたと思ったらもう夜!?」なんてのもザラです。本気になれば朝から晩までいけるでしょう。
娘の異質な集中力は幼児期から明らかでした。そしてそれを鍛えたのは間違いなく「妻の絵本の読み聞かせ」です。だって小学校にあがるまで、毎日何時間も絵本の読み聞かせに充ててきたのですから。詳しくはこちらの記事。
幼児が飽きないよう抑揚をつけ、即席の唄を交え、その時々に一番食いつきやすいと予想される絵本を選出し、ノイローゼになることもなく毎日子育てしてくれた妻には感謝、感謝です。
大和撫子養成所【父塾】
ついに手を出してみました、予習シリーズ。
それも4年4科目全部。問題集もセットで。
第一印象としては、薄っす!これ薄っす!値段の割りにずいぶん内容が少ないなあ。
算数はチラ見したのみで評価は今度。今こなしていることに一段落着けたら娘に見せてみよう。一番の目的はボクが特殊算とやらを齧ること。
理社は、現在使用中の文英堂の「くわしい」はもちろん「これでわかる」シリーズよりも内容が薄いので、ボクとしては「何だかなー」ですが、まあ娘が一人で予習するにはこれくらいがちょうどいいのかな?ボクと勉強するときはもう少し情報量の多い、密度の高いことをやりたいですね。
それも4年4科目全部。問題集もセットで。
第一印象としては、薄っす!これ薄っす!値段の割りにずいぶん内容が少ないなあ。
算数はチラ見したのみで評価は今度。今こなしていることに一段落着けたら娘に見せてみよう。一番の目的はボクが特殊算とやらを齧ること。
理社は、現在使用中の文英堂の「くわしい」はもちろん「これでわかる」シリーズよりも内容が薄いので、ボクとしては「何だかなー」ですが、まあ娘が一人で予習するにはこれくらいがちょうどいいのかな?ボクと勉強するときはもう少し情報量の多い、密度の高いことをやりたいですね。
大和撫子養成所【父塾】
自宅学習で陥りやすい罠のひとつが「教えすぎ」。
ボクの教える立場としての経験はほとんどが大学受験予備校で、たまに高校受験も指導したことがある程度ですが、教え上手というのはなかなか難しいものでした。
理想としては考え方、解き方の筋道を自力で発見させるのが「良い講師」なんですが、筋道そのものをあっさり提示してしまう方が簡単ですし、生徒も分かった気になりやすく、何より楽ちんですから付いてきやすいものです。
考え込んで袋小路に陥ったとき、必要最小限のヒントをささやく。その後はまたたっぷり考える時間を与える。最終的に生徒には「自力で解けた!」と思わせる。
そういう教え方を心がけたいですね。
なので、我が家の学習スタイルでは「今日はこれをここまでやる!」という目標設定はありません。時間一杯考えて、タイムオーバーならまた明日、です。
ボクの教える立場としての経験はほとんどが大学受験予備校で、たまに高校受験も指導したことがある程度ですが、教え上手というのはなかなか難しいものでした。
理想としては考え方、解き方の筋道を自力で発見させるのが「良い講師」なんですが、筋道そのものをあっさり提示してしまう方が簡単ですし、生徒も分かった気になりやすく、何より楽ちんですから付いてきやすいものです。
考え込んで袋小路に陥ったとき、必要最小限のヒントをささやく。その後はまたたっぷり考える時間を与える。最終的に生徒には「自力で解けた!」と思わせる。
そういう教え方を心がけたいですね。
なので、我が家の学習スタイルでは「今日はこれをここまでやる!」という目標設定はありません。時間一杯考えて、タイムオーバーならまた明日、です。