完全に個人的な心象の吐露に過ぎませんが、ブログに載せておきます。
やはりここで彼に連絡を取らねば一生後悔すると思い、メールすることにしました。実に20年ぶりです。
ところが…。連絡先が分からない。
ボクの使うメールアドレスで一番古いのはhotmailで、もう23年くらい愛用しているのですが、受信箱を漁ってもアドレス帳をひっくり返しても、2008年より古いデータが一通も残っていません。余りに多岐にわたって活用してきたアカウントなので削除するわけないし…自動的に削除されるなんてあるかなあ…。
と思って調べたら、連続九ヶ月ログインがないと全て削除されるとのこと。2008年に、プライベートのメールボックスを九ヶ月も開かないような多忙な時期があったかしら…。長女の妊娠中…いやー思い当たらないなあ。諦めるしかないとしても、あの珠玉のメーリングリストの記録が全て喪われたのはちょっと悲しいですね。
脱線が過ぎましたが、闘病ブロガーのケイさんには、アメブロアカウントを急遽作成してダイレクトメッセージを送ることにしました。
お返事が来なかったとしても、これでボクなりに心のわだかまりがひとつ消えてすっきりしました。
人との縁を切るのは実に簡単ですが、復旧するのは難しいものですね。
やはりここで彼に連絡を取らねば一生後悔すると思い、メールすることにしました。実に20年ぶりです。
ところが…。連絡先が分からない。
ボクの使うメールアドレスで一番古いのはhotmailで、もう23年くらい愛用しているのですが、受信箱を漁ってもアドレス帳をひっくり返しても、2008年より古いデータが一通も残っていません。余りに多岐にわたって活用してきたアカウントなので削除するわけないし…自動的に削除されるなんてあるかなあ…。
と思って調べたら、連続九ヶ月ログインがないと全て削除されるとのこと。2008年に、プライベートのメールボックスを九ヶ月も開かないような多忙な時期があったかしら…。長女の妊娠中…いやー思い当たらないなあ。諦めるしかないとしても、あの珠玉のメーリングリストの記録が全て喪われたのはちょっと悲しいですね。
脱線が過ぎましたが、闘病ブロガーのケイさんには、アメブロアカウントを急遽作成してダイレクトメッセージを送ることにしました。
お返事が来なかったとしても、これでボクなりに心のわだかまりがひとつ消えてすっきりしました。
人との縁を切るのは実に簡単ですが、復旧するのは難しいものですね。
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大和撫子養成所【父塾】
インターネットがまだパソコン通信と呼ばれていた頃、子どもながらにレアな趣味に夢中だったボクは、ニフティフォーラムで同好の士と出会い、盛んに情報交換していました。
そこのオフ会で出会う人々は、若いボクの目にはみんなキラキラ輝く大人ばかりで、そこで得た情報以上にその人たちの出会いに感謝したものです。図抜けて若かったボクはとても可愛がって頂きました。
そんな中で、ケイさんは一回り以上年上で、それでもその世界では若手といえて、特に親しく接して下さいました。毎晩その人とメーリングリスト(懐かしい!)で情報交換し、ホームページのBBSに書き込みあい、週末はオフ会で北陸やら関西やらまで一緒に遠征したものです。
ところが、本当にささいな行き違いで、実はボクも細かく覚えていないのですが、別の仲間の起こしたある事件に対する認識のズレから仲違いをしました。ボクが彼の誤解を解く努力を怠ったのも大きいと記憶しています。とにかくそれを機に、彼とは一切の交流を断ちました。
それから二十年。
当時の仲間から、彼が不治の病で余命幾ばくもないと聞きました。闘病日記を毎日のようにブログに認めているのを知りました。
名だたる国際企業を早期退職し、お子さん達も既に成人し、限られた余生で今なお趣味に没頭している姿を垣間見ました。
ボクも仕事柄、彼の病状の厳しさが何となく分かります。必死に延命治療を受けながら、鎮痛剤を飲みながら、ボクが生涯最も夢中になった趣味の世界を今も最大限楽しんでいる姿をみて、ああ、何で彼との交流を断ってしまったのだろうと後悔しています。
今さらコンタクトを取ってみようか。彼がそれを望むだろうか。迷惑だろうか。でも、今しかないではないか。
人との縁を大切に出来なかった当時のボクの幼さを悔やみます。
そこのオフ会で出会う人々は、若いボクの目にはみんなキラキラ輝く大人ばかりで、そこで得た情報以上にその人たちの出会いに感謝したものです。図抜けて若かったボクはとても可愛がって頂きました。
そんな中で、ケイさんは一回り以上年上で、それでもその世界では若手といえて、特に親しく接して下さいました。毎晩その人とメーリングリスト(懐かしい!)で情報交換し、ホームページのBBSに書き込みあい、週末はオフ会で北陸やら関西やらまで一緒に遠征したものです。
ところが、本当にささいな行き違いで、実はボクも細かく覚えていないのですが、別の仲間の起こしたある事件に対する認識のズレから仲違いをしました。ボクが彼の誤解を解く努力を怠ったのも大きいと記憶しています。とにかくそれを機に、彼とは一切の交流を断ちました。
それから二十年。
当時の仲間から、彼が不治の病で余命幾ばくもないと聞きました。闘病日記を毎日のようにブログに認めているのを知りました。
名だたる国際企業を早期退職し、お子さん達も既に成人し、限られた余生で今なお趣味に没頭している姿を垣間見ました。
ボクも仕事柄、彼の病状の厳しさが何となく分かります。必死に延命治療を受けながら、鎮痛剤を飲みながら、ボクが生涯最も夢中になった趣味の世界を今も最大限楽しんでいる姿をみて、ああ、何で彼との交流を断ってしまったのだろうと後悔しています。
今さらコンタクトを取ってみようか。彼がそれを望むだろうか。迷惑だろうか。でも、今しかないではないか。
人との縁を大切に出来なかった当時のボクの幼さを悔やみます。
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大和撫子養成所【父塾】
長女の中学受験の経験上、社会の先取りに意味がないと知りました。小3、小4のSAPIXの授業で習ったことですら、どうせ小5、小6で1から詰め込み直すわけですし、かつ質・量とも比較にならないくらい増えるわけですし。
とはいえ、娘が社会でさほど(?)苦労しなかったのは、持ち前の記憶力の良さもあったでしょうが、幼少期から地理や歴史に興味を持っていたからだとも思います。その結果、SAPIX高学年の社会の勉強が苦痛ではなかったのではないか。
年少さんにして誕生日に地球儀を欲しがり、日本の歴史マンガを読みふけり、子どもとはこういうものに自然と興味を持つ生き物なのだなあと感心していたものです。
しかるに。
長男はそちら方面に一切の興味を示しませんでした。もっとも、親の方も「そのうち勝手に興味を持つようになるじゃろう」と思って特に働きかけることなく過ごしてきました。その結果、全く興味を持たずに今に至ります。
転居して、壁紙の材質の問題で、地図や年表のようなポスター系教材が全く貼れなくなったのも悪かったかも知れません。
日本の歴史マンガはすぐ手の届くところにありますが、『ドラえもん』を読み始めた程度のマンガ初心者である彼にはハードルが高すぎます。歴史図鑑も複数ありますが、生き物図鑑を眺めるのが何よりも好きな彼にとって、手に取ろうと思うわけもなく。
つまり、このまま放置すると、彼はこのまま小5の受験社会の荒波に呑まれる恐れがあるのです。
というのは冗談ですが、やはり親が何も働きかけないのはもったいないかなと思いまして、夜な夜な歴史図鑑や歴史漫画を開いては、彼に日本史のごく簡単なあらましを教え始めました。
自分とは何か、自分のルーツとは何か、なんてまだまだ思いもしないお年頃かも知れませんが、これを機に彼の世界観に何か残るものがあればいいなと思います。
テキストは小学館の『キッズぺディア歴史館』と、学研マンガの『日本の歴史』、そして三省堂の国語辞典です。
とはいえ、娘が社会でさほど(?)苦労しなかったのは、持ち前の記憶力の良さもあったでしょうが、幼少期から地理や歴史に興味を持っていたからだとも思います。その結果、SAPIX高学年の社会の勉強が苦痛ではなかったのではないか。
年少さんにして誕生日に地球儀を欲しがり、日本の歴史マンガを読みふけり、子どもとはこういうものに自然と興味を持つ生き物なのだなあと感心していたものです。
しかるに。
長男はそちら方面に一切の興味を示しませんでした。もっとも、親の方も「そのうち勝手に興味を持つようになるじゃろう」と思って特に働きかけることなく過ごしてきました。その結果、全く興味を持たずに今に至ります。
転居して、壁紙の材質の問題で、地図や年表のようなポスター系教材が全く貼れなくなったのも悪かったかも知れません。
日本の歴史マンガはすぐ手の届くところにありますが、『ドラえもん』を読み始めた程度のマンガ初心者である彼にはハードルが高すぎます。歴史図鑑も複数ありますが、生き物図鑑を眺めるのが何よりも好きな彼にとって、手に取ろうと思うわけもなく。
つまり、このまま放置すると、彼はこのまま小5の受験社会の荒波に呑まれる恐れがあるのです。
というのは冗談ですが、やはり親が何も働きかけないのはもったいないかなと思いまして、夜な夜な歴史図鑑や歴史漫画を開いては、彼に日本史のごく簡単なあらましを教え始めました。
自分とは何か、自分のルーツとは何か、なんてまだまだ思いもしないお年頃かも知れませんが、これを機に彼の世界観に何か残るものがあればいいなと思います。
テキストは小学館の『キッズぺディア歴史館』と、学研マンガの『日本の歴史』、そして三省堂の国語辞典です。
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大和撫子養成所【父塾】
西日本の皆さん、台風は大丈夫でしたか。
三連休はボクの故郷に帰省して、今年最後の海遊びにしようと考えていたのですが、台風14号が過去最強の呼び声高く、たぶん大丈夫だろうとは思いつつ、帰京できないリスクをとってドタキャンしたのでした。
で、日曜は東京ソラマチ、月曜は九段へみんなでお出掛け。
スカイツリーは、次女が未踏のため、展望台へ連れていきたかったのですが、織りからの雷雨で「上に昇ってもどうせ何も見えん」と考え断念。すみだ水族館を始め、ソラマチのショッピングを楽しみました。
すみだ水族館はとても小さな水族館で、見所はADAのネイチャーアクアリウムとチンアナゴ、屋内なのに臭くないペンギン集団くらい。金魚も売りのひとつにしたいようですが、マニアからみればとてもとても…。サンゴ水槽も街中の熱帯魚屋さんに遠く及ばず、お金取っていい水準にありません。
と、辛口なのは入場料がお高いからで、それでもADAのネイチャーアクアリウムは一見の価値ありです。妻はADAが大好きで、ボクがこれにいくら浪費しても怒りません(笑)。
九段は靖国神社や日本武道館を通り抜けて、昭和の薫りが色濃く残る科学技術館へ。
科学技術館はボクが紅顔の高校生だったころ、級友と訪れた思い出の場所。うーむ、20年以上経ったのに余り変わってない。いまは日本科学未来館の方が人気なのかも知れませんが、長男や次女みたいなチビッ子を連れていくなら意外と楽しんでくれるのはこちらかも知れません。
疲れましたけど、それでも我が故郷に行くよりは体力温存できたかな!(笑)
三連休はボクの故郷に帰省して、今年最後の海遊びにしようと考えていたのですが、台風14号が過去最強の呼び声高く、たぶん大丈夫だろうとは思いつつ、帰京できないリスクをとってドタキャンしたのでした。
で、日曜は東京ソラマチ、月曜は九段へみんなでお出掛け。
スカイツリーは、次女が未踏のため、展望台へ連れていきたかったのですが、織りからの雷雨で「上に昇ってもどうせ何も見えん」と考え断念。すみだ水族館を始め、ソラマチのショッピングを楽しみました。
すみだ水族館はとても小さな水族館で、見所はADAのネイチャーアクアリウムとチンアナゴ、屋内なのに臭くないペンギン集団くらい。金魚も売りのひとつにしたいようですが、マニアからみればとてもとても…。サンゴ水槽も街中の熱帯魚屋さんに遠く及ばず、お金取っていい水準にありません。
と、辛口なのは入場料がお高いからで、それでもADAのネイチャーアクアリウムは一見の価値ありです。妻はADAが大好きで、ボクがこれにいくら浪費しても怒りません(笑)。
九段は靖国神社や日本武道館を通り抜けて、昭和の薫りが色濃く残る科学技術館へ。
科学技術館はボクが紅顔の高校生だったころ、級友と訪れた思い出の場所。うーむ、20年以上経ったのに余り変わってない。いまは日本科学未来館の方が人気なのかも知れませんが、長男や次女みたいなチビッ子を連れていくなら意外と楽しんでくれるのはこちらかも知れません。
疲れましたけど、それでも我が故郷に行くよりは体力温存できたかな!(笑)
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大和撫子養成所【父塾】
先日の記事の続きです。
長男の計算力強化(及び、単純なトレーニングの場)を期待して、一度は退会した公文を再開することにしました。
一応四則演算は終えているので、これが中学受験を知る前のボクなら中学分野への移行とか、高進度のトロフィーとかを目指したくなったでしょうけれど、今のボクの考えは違います。とにかくシンプルな小学算数の計算ドリルを、自宅でやりたがらない長男にある種の緊張感を与えてこなさせるという明確な目的があるからです。
その辺りの事情を公文の先生はよく理解して下さったようで、それならば徹底的に利用してしまおうという魂胆です。
目論見通り、長男の目付きは変わりました。再開してから一日20枚を、時計を気にしながら猛然と解いています。これだけでもう十分に元が取れた、てなもんです。
ついでに国語も再開しました。長女と異なり児童書を読みたがらない図鑑少年に、公文お得意の参考図書から少しずつ出題されるスタイルは、意外と長男向きなんじゃないかと考えたからです。ま、これは様子見ながら。
公文をさほど評価しない、というか、公文をむやみに持ち上げる風潮にはかねて異を唱えてきたボクですが、公文のメリットデメリットを飲み込んだ上で利用しちゃろうというのは我ながら面白いことだと思います。
長男の計算力強化(及び、単純なトレーニングの場)を期待して、一度は退会した公文を再開することにしました。
一応四則演算は終えているので、これが中学受験を知る前のボクなら中学分野への移行とか、高進度のトロフィーとかを目指したくなったでしょうけれど、今のボクの考えは違います。とにかくシンプルな小学算数の計算ドリルを、自宅でやりたがらない長男にある種の緊張感を与えてこなさせるという明確な目的があるからです。
その辺りの事情を公文の先生はよく理解して下さったようで、それならば徹底的に利用してしまおうという魂胆です。
目論見通り、長男の目付きは変わりました。再開してから一日20枚を、時計を気にしながら猛然と解いています。これだけでもう十分に元が取れた、てなもんです。
ついでに国語も再開しました。長女と異なり児童書を読みたがらない図鑑少年に、公文お得意の参考図書から少しずつ出題されるスタイルは、意外と長男向きなんじゃないかと考えたからです。ま、これは様子見ながら。
公文をさほど評価しない、というか、公文をむやみに持ち上げる風潮にはかねて異を唱えてきたボクですが、公文のメリットデメリットを飲み込んだ上で利用しちゃろうというのは我ながら面白いことだと思います。
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