マンスリーテストが終わり、二週間で組分け、さらに二週間で七月復習テスト。
忙しいですね。
先日も記事にしましたが、自分の「大丈夫」がいかに「大丈夫ではない」かを痛感するために試験はあるのだ、と思っています。どの問題が出来たかはほとんど興味がなくて(自分は、ですよ。娘はほめてやらにゃあ)、どんな問題をどんなふうに落としたかが決定的に重要なのです。
そのなかで、多くの子どもら(の親)を悩ませるのがケアレスミス。
やみくもに「なんでこんなミスをしたんだ!」と叱っても無意味です。言えば言うほど増えます、ボクの経験上。「本当だったらあと○点高かったのにね」という仮定の話(空想)に心の安定を託すのも悪手。進歩がありません。
子ども達にとって、ケアレスミスは、今後長~く付き合っていかねばならない重大な問題です。
小テストも含めて今後数百回受けることになるペーパーテストに限りません。そもそも、社会に出れば不注意は笑って済ませられる問題ではない。病院では目の前の人が死にますし、会社では莫大な損害に直結する。文字通り、些細なヒューマンエラーで人生が変わるわけです。
ケアレスミスはなくならない。
これは絶対的真理ですが、工夫によって最小限に減らすことが出来るのも真理です。
不注意=意識の破れを認識するためには、己の認知と反省が大切です。どのような状況でどのようなミスをおかしたのか。それを冷静に探ることです。
心理学が役に立ちます。正常性バイアス、学習バイアス、認知バイアス、こじつけ解釈、パニックなどなど…。これらの概念やエラー事例を知ることで、逆に不注意に陥りやすい急所にも予め気付きやすくなる。
注意欠陥でない、いわゆる平均的な注意力をもつお子さんが、親御さんが嘆くほどおっちょこちょいな凡ミスを繰り返すことがあります。
そういう生徒をよく観察すると、彼らは決して注意力がないわけではない。今、ここに!ほら!意識しろ!と言えば、全く問題のない深度で注意力を発揮できる。
じゃあなんで彼らが不注意なミスを連発するのかと観察すると、彼らはその意識の焦点が一点に定まらないのだと気付きます。
レッド・へリング、という言葉があります。燻製ニシンのことですが、要するに目眩ましですね。研修医のころの指導医の口癖でした。目立つ匂いに注意を奪われて本質を見誤るなという文脈で使っていました。
不注意なひとは、この燻製ニシンに弱い。そこにとどまれば十分な注意力を発揮できるはずの焦点が、ふらふらと、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
逆に、注意力のあるひとは、全体を俯瞰しつつも意識の焦点はぶれにくい。急所を一個一個的確に意識して解決していくわけです。一言でいえば、慎重。
こんなことを子どもに話すのは無駄だと思いますか。子どもは自分の注意力に、成績という物差しで、直面し続けるのです。彼ら自身が認知しない限り、つまり自分の意識・身体的特性を理解して対処しない限り、ケアレスミスを劇的に減らすことは難しいと考えます。むろん、それを誰に言われるでもなく出来てしまう英才もいるわけですが。
うちの子ですか?そりゃあボクの子ですから…(涙)
忙しいですね。
先日も記事にしましたが、自分の「大丈夫」がいかに「大丈夫ではない」かを痛感するために試験はあるのだ、と思っています。どの問題が出来たかはほとんど興味がなくて(自分は、ですよ。娘はほめてやらにゃあ)、どんな問題をどんなふうに落としたかが決定的に重要なのです。
そのなかで、多くの子どもら(の親)を悩ませるのがケアレスミス。
やみくもに「なんでこんなミスをしたんだ!」と叱っても無意味です。言えば言うほど増えます、ボクの経験上。「本当だったらあと○点高かったのにね」という仮定の話(空想)に心の安定を託すのも悪手。進歩がありません。
子ども達にとって、ケアレスミスは、今後長~く付き合っていかねばならない重大な問題です。
小テストも含めて今後数百回受けることになるペーパーテストに限りません。そもそも、社会に出れば不注意は笑って済ませられる問題ではない。病院では目の前の人が死にますし、会社では莫大な損害に直結する。文字通り、些細なヒューマンエラーで人生が変わるわけです。
ケアレスミスはなくならない。
これは絶対的真理ですが、工夫によって最小限に減らすことが出来るのも真理です。
不注意=意識の破れを認識するためには、己の認知と反省が大切です。どのような状況でどのようなミスをおかしたのか。それを冷静に探ることです。
心理学が役に立ちます。正常性バイアス、学習バイアス、認知バイアス、こじつけ解釈、パニックなどなど…。これらの概念やエラー事例を知ることで、逆に不注意に陥りやすい急所にも予め気付きやすくなる。
注意欠陥でない、いわゆる平均的な注意力をもつお子さんが、親御さんが嘆くほどおっちょこちょいな凡ミスを繰り返すことがあります。
そういう生徒をよく観察すると、彼らは決して注意力がないわけではない。今、ここに!ほら!意識しろ!と言えば、全く問題のない深度で注意力を発揮できる。
じゃあなんで彼らが不注意なミスを連発するのかと観察すると、彼らはその意識の焦点が一点に定まらないのだと気付きます。
レッド・へリング、という言葉があります。燻製ニシンのことですが、要するに目眩ましですね。研修医のころの指導医の口癖でした。目立つ匂いに注意を奪われて本質を見誤るなという文脈で使っていました。
不注意なひとは、この燻製ニシンに弱い。そこにとどまれば十分な注意力を発揮できるはずの焦点が、ふらふらと、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
逆に、注意力のあるひとは、全体を俯瞰しつつも意識の焦点はぶれにくい。急所を一個一個的確に意識して解決していくわけです。一言でいえば、慎重。
こんなことを子どもに話すのは無駄だと思いますか。子どもは自分の注意力に、成績という物差しで、直面し続けるのです。彼ら自身が認知しない限り、つまり自分の意識・身体的特性を理解して対処しない限り、ケアレスミスを劇的に減らすことは難しいと考えます。むろん、それを誰に言われるでもなく出来てしまう英才もいるわけですが。
うちの子ですか?そりゃあボクの子ですから…(涙)
- 関連記事