妻の実家は北秋田、森吉山の麓です。阿仁マタギが千年、いや、縄文の昔から森を守ってきた集落です。
妻の白神に対する思い入れは相当なもので、また行きたい、また行きたいとよく話しています。
白神山地は世界自然遺産として著名で、それこそ子どもでも知っているわけですが、それを『手付かずの自然ゆえに貴重』と捉えているのでは本質を見ていないことになります。
あそこは、人の手が加わっていないのではなく、人の手で縄文の昔から守られてきた、人と自然の共生の地であったと考えるべきです。
マタギは猟師の一種ですが、山の神信仰を軸に、自然との調和を第一義として生活してきた『森の人』でした。高値で売れるツキノワグマも、一度の猟で獲っていい頭数を決め、卑怯な罠を使わないなど、狩り方を守らないと容易に絶滅しうると見抜いていたようです(クマを狩る文化のある国で、クマがこれほどたくさん生息している国は極めて珍しいとのこと)。今では法律に護られるブナの木も、世界遺産登録までは地元民の資源でしたが、予めどれを伐るのかをよく検討してから必要最小限の伐採に留め、苔蒸した土は再生に50年掛かるからと決して踏まないように歩くなど、仲間内で厳しい掟を設けて守り通し、祟りを恐れ、欲を張ることを忌避してきた種族が阿仁マタギなのです。
妻の物欲のなさは、そういうルーツから来るものかも知れませんね。(怒ったときの気迫もね…)
ボクのルーツは海辺の民で、「水産資源は無尽蔵」としか考えられない時代が長かったがために、アワビにしてもイセエビにしても、禁漁期間は守るけれど「口が開けたら獲れるだけ獲るのが当然」という、阿仁マタギに聞かれたら鼻で笑われるような自然観だったなぁと苦笑しています。まあ、それだけ海の懐が深かったわけですけれども。
*
で、タイトルの書籍。


『マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り 』
独特の自然観と宗教観をもつマタギには豊富な民俗伝承があるようです。この本は、著者の工藤隆雄が最後のマタギ世代に取材した、わりと近い過去の話を集めた短編集で、八甲田山死の彷徨において歴史の光の当たることのなかった若いマタギの犠牲の告発から始まり、気取らない文体で淡々と「そんな不思議なことがあるのか」といった出来事を説明していくという、独特の雰囲気でありながらとても読みやすい本でした。
賢治の名作『なめとこ山の熊』と合わせて読むのがお薦めです。

妻の白神に対する思い入れは相当なもので、また行きたい、また行きたいとよく話しています。
白神山地は世界自然遺産として著名で、それこそ子どもでも知っているわけですが、それを『手付かずの自然ゆえに貴重』と捉えているのでは本質を見ていないことになります。
あそこは、人の手が加わっていないのではなく、人の手で縄文の昔から守られてきた、人と自然の共生の地であったと考えるべきです。
マタギは猟師の一種ですが、山の神信仰を軸に、自然との調和を第一義として生活してきた『森の人』でした。高値で売れるツキノワグマも、一度の猟で獲っていい頭数を決め、卑怯な罠を使わないなど、狩り方を守らないと容易に絶滅しうると見抜いていたようです(クマを狩る文化のある国で、クマがこれほどたくさん生息している国は極めて珍しいとのこと)。今では法律に護られるブナの木も、世界遺産登録までは地元民の資源でしたが、予めどれを伐るのかをよく検討してから必要最小限の伐採に留め、苔蒸した土は再生に50年掛かるからと決して踏まないように歩くなど、仲間内で厳しい掟を設けて守り通し、祟りを恐れ、欲を張ることを忌避してきた種族が阿仁マタギなのです。
妻の物欲のなさは、そういうルーツから来るものかも知れませんね。(怒ったときの気迫もね…)
ボクのルーツは海辺の民で、「水産資源は無尽蔵」としか考えられない時代が長かったがために、アワビにしてもイセエビにしても、禁漁期間は守るけれど「口が開けたら獲れるだけ獲るのが当然」という、阿仁マタギに聞かれたら鼻で笑われるような自然観だったなぁと苦笑しています。まあ、それだけ海の懐が深かったわけですけれども。
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で、タイトルの書籍。
『マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り 』
独特の自然観と宗教観をもつマタギには豊富な民俗伝承があるようです。この本は、著者の工藤隆雄が最後のマタギ世代に取材した、わりと近い過去の話を集めた短編集で、八甲田山死の彷徨において歴史の光の当たることのなかった若いマタギの犠牲の告発から始まり、気取らない文体で淡々と「そんな不思議なことがあるのか」といった出来事を説明していくという、独特の雰囲気でありながらとても読みやすい本でした。
賢治の名作『なめとこ山の熊』と合わせて読むのがお薦めです。
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