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■なんのために先取りするのか:弐

2020.08.26(07:55) 1118

結局、学力はもって生まれた才能と、与えられた環境に大きく左右されます。前者は、これはもうどうしようもないので、後者について。

早期英才教育に否定的なボクが娘に先取りの家庭学習を求めた理由は、まさにその後者のためです。

田舎の公立中育ちで中高一貫校の高校編入組として揉まれ、そして医学部受験の予備校講師として有名無名の高校生・浪人生と関わって、同僚達のいう「地頭」以上に環境の重要性を思い知らされてきました。

単純な話をすれば、クラスから東大合格者が当たり前に出ない環境から、或いは今まで一度も理三に進学していない高校からそれらに合格するのは本当に難しい。何を目指せばいいのか、どこまで頑張ればいいのかを知るのと知らないのとでは全く戦い方が異なるんです。今自分は富士山の何合目にいるのか知らずに登るのはかなりしんどいでしょう。そして、少し視点をずらせば富士山より高い山がゴロゴロしているではありませんか。

それと同じことが子どもの学習にもいえるんじゃないでしょうか。

田舎で、公文が少し進んでいるからといった程度で小山の大将になって欲しくなかったんですよね。世の中にはこんなにも賢い人が多く、自分とは何が違うのかを早く知って欲しかった。そして、努力すれば出来るようになるという成功体験からの健全な自己肯定感の獲得は早いほどいい。

低学年なのに何時間も勉強して、とか。
まだ低学年なのに理科や社会は不要だ、とか。
そんなことを覚えて何の意味があるの、とか。

そりゃあ、目前の目標という意味ではゴールが中学受験であり、既に長い歴史のなかで確立された手法や戦略があり、そこから外れるのは合理的でない、という批判もあるでしょう。

でも、中学受験がゴールじゃないですからね。もっと言えば、大学受験もゴールじゃない。

子どもに必要なのはテストで点を取るテクニックではなくて、知る喜びと考える楽しみ、継続的努力の崇高さを自覚することではありませんか。

言葉を増やす、知識を積み重ねるというのは何も悪いことではない。算数的概念、科学的概念、歴史観についてもそう。英語も好奇心の対象になるならばやればいい。 そして、本人が苦痛でないなら何時間も机に向かって何が悪いのか。

いったん切ります。
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