「文系・理系」という、誰もが使うのに明確な定義がない言葉がありますね。
世間一般では文系学部、理系学部という、大学受験での便宜に基づいた区別のイメージが強いでしょう。
でも、医者が理系とはとても思えませんし、例えばヤドカリの触角の節の数を数える分類学者が理系でトルコの古代遺跡の発掘に駆けずり回る考古学者が文系と決めつけるのもズレています。
結局、その人ないし職分が数理学的手法を主体的に用いるか否かに帰結するのが無難な分類で、子どもの学力について言えば「算数・数学が得意か否か」の一点について注目し、その希望する進路の関所たる学力試験で満足な成績が取れるないし取りたくて努力を厭わない子を理系、という風に考える方がいい。
でも、そもそも頭ごなしに「この子は理系、この子は文系」と早期にレッテルを貼る風潮にギモンです。
娘は、親の欲目から見て、いわゆる世間一般でいうところの文科系学問領域に素質がありそうですし、本人の趣味嗜好も概ねそれに合致しています。
でも、ボクはそれをおくびにも出しません。
今のところ算数や理科が得意というのは重要な問題ではなくて、こんなところ(まだ学問の端緒についたばかり)で自分は文系なんだ、理系なんだと思い込んでしまうとそれだけで将来の可能性を制限しかねません。
苦手意識のある科目から撤収する大義名分を与えてしまい、「勉めて学ぶ」という学問の土台において自らの将来を狭める呪縛になりかねません。
今は全科目に苦手意識をもたず、好き嫌いせず、バランスよく学力を上げていけばいい。親が進んで偏見を持たせるなんてもってのほかです。
世間一般では文系学部、理系学部という、大学受験での便宜に基づいた区別のイメージが強いでしょう。
でも、医者が理系とはとても思えませんし、例えばヤドカリの触角の節の数を数える分類学者が理系でトルコの古代遺跡の発掘に駆けずり回る考古学者が文系と決めつけるのもズレています。
結局、その人ないし職分が数理学的手法を主体的に用いるか否かに帰結するのが無難な分類で、子どもの学力について言えば「算数・数学が得意か否か」の一点について注目し、その希望する進路の関所たる学力試験で満足な成績が取れるないし取りたくて努力を厭わない子を理系、という風に考える方がいい。
でも、そもそも頭ごなしに「この子は理系、この子は文系」と早期にレッテルを貼る風潮にギモンです。
娘は、親の欲目から見て、いわゆる世間一般でいうところの文科系学問領域に素質がありそうですし、本人の趣味嗜好も概ねそれに合致しています。
でも、ボクはそれをおくびにも出しません。
今のところ算数や理科が得意というのは重要な問題ではなくて、こんなところ(まだ学問の端緒についたばかり)で自分は文系なんだ、理系なんだと思い込んでしまうとそれだけで将来の可能性を制限しかねません。
苦手意識のある科目から撤収する大義名分を与えてしまい、「勉めて学ぶ」という学問の土台において自らの将来を狭める呪縛になりかねません。
今は全科目に苦手意識をもたず、好き嫌いせず、バランスよく学力を上げていけばいい。親が進んで偏見を持たせるなんてもってのほかです。
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