トップクラスの物理学者にして著名な俳人でもある有馬朗人先生は、東大総長、文部大臣、科学技術庁東大学長を歴任した日本有数の頭脳の持ち主でした。
ボクは主に俳句のご指導を頂くという形で私的に仰いでおりました。
孫のような若造の生意気な反論もにこやかに受け止めてくださる、実に懐の大きな人物でした。晩年も「数年後まで仕事の予定が入ってるんだよ」と笑っておられましたが、その小柄な体躯のどこからそんなバイタリティが湧くのだろうと不思議でした。
有馬先生といえば『ゆとり教育』。ネガティブな文脈で使われることの多い、そしてのちに『脱ゆとり』を経たことからまるで日本教育界最大の失敗のようなイメージで語られる『ゆとり教育』。これを提唱した人物として知られます。有馬先生は世に真意を理解されず、的外れな批判ばかりだったと大変残念がっておられました。
「僕はね、小説を書く時間がないから俳句を選んだんだよ」とニコニコして話してらっしゃった、寸暇を惜しんで研究し、大臣まで務め、傍ら欠かさず趣味を楽しみ、人生を謳歌した有馬先生の生きざまこそが本当の『ゆとり教育』の目指すべき姿だったのです。が、先生は非凡に過ぎました。
大往生でした。
今まで本当にありがとうございました。
秋の日が終る抽斗をしめるように 有馬朗人
ボクは主に俳句のご指導を頂くという形で私的に仰いでおりました。
孫のような若造の生意気な反論もにこやかに受け止めてくださる、実に懐の大きな人物でした。晩年も「数年後まで仕事の予定が入ってるんだよ」と笑っておられましたが、その小柄な体躯のどこからそんなバイタリティが湧くのだろうと不思議でした。
有馬先生といえば『ゆとり教育』。ネガティブな文脈で使われることの多い、そしてのちに『脱ゆとり』を経たことからまるで日本教育界最大の失敗のようなイメージで語られる『ゆとり教育』。これを提唱した人物として知られます。有馬先生は世に真意を理解されず、的外れな批判ばかりだったと大変残念がっておられました。
「僕はね、小説を書く時間がないから俳句を選んだんだよ」とニコニコして話してらっしゃった、寸暇を惜しんで研究し、大臣まで務め、傍ら欠かさず趣味を楽しみ、人生を謳歌した有馬先生の生きざまこそが本当の『ゆとり教育』の目指すべき姿だったのです。が、先生は非凡に過ぎました。
大往生でした。
今まで本当にありがとうございました。
秋の日が終る抽斗をしめるように 有馬朗人
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