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■長女:国語を

2020.12.10(16:37) 1208

家庭学習の分配比率が一番低かった国語を、ここのところ集中的に取り組んでいます。ほぼ毎日、ボクと。

国語の指導経験なんてせいぜい学生時代の家庭教師くらいしかありませんから、方法論をブツのは逆効果という自覚は彼女が低学年の頃からあります。それは塾にお任せすべきと。

じゃあボクの出番は何か。

ひとつはたくさん問題を解かせること。そして解きっぱなしにさせないこと。解説をふたりで熟読し、自分の解答と何が違うのか、どこが減点対象になるだろうか、どう読めば良かったのか。それをちゃんと追及するってことです。

もうひとつは文章の内容理解の確認。論説文にせよ小説にせよ、あなた本当にこの一文を理解しているのかい?という突っ込み。語句の意味もしっかり疎かにせず、読んだ気にさせない。もちろん、ボクの能力の範囲内で問題文に補足すべき概念や知識も話します。

『国語の成績は上げにくい』

これは大学受験でもよく言われるテーマですが、プロではないボクでも分かることがあります。それは、問題文が読み取れなければ解けるわけがない、ってことです。

当たり前じゃーん、です。まず語彙。そして主題に関する知識。

環境問題なり宗教問題なり恋愛問題なり、御大層な文章で論じられるような『問題』、とりわけ中学受験で出題されるような『問題』なんて、とうの昔に語り尽くされてきたいわば手垢びっしりの頻出事項に過ぎません。「またその話~?」てなもんです。それが受験生にとって難しいのは、彼らがその手垢に馴染んでいないから。

だから、読書にしてもテレビにしても漫画にしても、基本情報のインプット量の多い子どもは有利になる。当たり前じゃーん、です。

もちろん、ただ読書してもダメ。情報のインプットが伴わないのであれば、それは単なる情報の消費に過ぎませんから。



これから本格的な受験生になる上で、ボクと国語の読解演習なんぞに時間を費やしていていいのか、という自問は当然あります。特に娘は別に国語が苦手なわけではなく、一般的な尺度であれば相当優秀な方だと思うのですが、それでも国語に労力を傾ける意味はあるのか。

やはり、今こそが国語の学び時だと強く感じるんです。これは中学受験うんぬんではなく、一人の少女の知性の発達段階において、今が一番の"タイミング"と感じます。それくらい成長してきたということです。
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