息子の通う小学校では、一年生はアサガオを育てます。二年生はミニトマトだったっけ?ホウセンカかな?
毎晩、子ども達三人に一人ずつ「今日はどんな一日だった?」と訊いていまして、長男は嬉しそうに「アサガオの種をまいた!」。
と聞くと、ムクムクと、ボクの「教えたい欲求」が首をもたげます。種をまくときに何に注意してって先生に教わった?とか、種はどんな形だった?とか、アサガオひとつでも父ちゃん理科講義は膨らみます。
で、「種を食べちゃだめだよって言われなかった?」と訊きますと、言われなかったよと。
アサガオの種は有毒で、とても強い下剤の働きがあります。舐めるくらいなら大丈夫ですが、ボクは念のため、触ったら手をよく洗うようにしています。何故なら、小学生の頃に担任教諭からそう教わったから。(いま思い返しても、あのド田舎の公立小に赴任した若いオナゴ先生は博識でした…。その後、彼女ほど有能な教諭をボクは知りません)
小学生も一年坊主であれば、一人くらいふざけて口にいれるアンポンタンもいるんじゃないでしょうか。丸飲みならまだしも、ガリッと噛んだらアウトです。恐がらせる必要はないにしても、口に入れちゃだめだということくらいは教えて欲しかったところ。
それにしても、種子に毒をもたせるよう進化したアサガオは面白いですね。花も自家受粉ですし、「ほっといて下さい、私一人で生きていけますから」なんて声が聞こえてきそうです。
種子の付け方ひとつとっても、植物種によって全く異なる生存戦略を取っているのが面白いですね。ラッカセイは種子を地面に隠していますし、マンゴーやアボカドは美味しい果実の中に巨大で堅い種を包み込んでいます。イネやムギは種子をヒトの主食とし、ヒトを使役し栽培してもらう生き方を選び、アサガオは種子を有毒にしつつ色彩変異しやすい花弁でヒトに愛でてもらうツンデレとして生きてきたわけで。
進化論なんてたいそうなものではありませんが、生き物に対するそういう見方を長男にも身に付けて欲しいところです。全部とは言わないまでも、ボクの話の一割でも覚えていてくれたら嬉しいです。
毎晩、子ども達三人に一人ずつ「今日はどんな一日だった?」と訊いていまして、長男は嬉しそうに「アサガオの種をまいた!」。
と聞くと、ムクムクと、ボクの「教えたい欲求」が首をもたげます。種をまくときに何に注意してって先生に教わった?とか、種はどんな形だった?とか、アサガオひとつでも父ちゃん理科講義は膨らみます。
で、「種を食べちゃだめだよって言われなかった?」と訊きますと、言われなかったよと。
アサガオの種は有毒で、とても強い下剤の働きがあります。舐めるくらいなら大丈夫ですが、ボクは念のため、触ったら手をよく洗うようにしています。何故なら、小学生の頃に担任教諭からそう教わったから。(いま思い返しても、あのド田舎の公立小に赴任した若いオナゴ先生は博識でした…。その後、彼女ほど有能な教諭をボクは知りません)
小学生も一年坊主であれば、一人くらいふざけて口にいれるアンポンタンもいるんじゃないでしょうか。丸飲みならまだしも、ガリッと噛んだらアウトです。恐がらせる必要はないにしても、口に入れちゃだめだということくらいは教えて欲しかったところ。
それにしても、種子に毒をもたせるよう進化したアサガオは面白いですね。花も自家受粉ですし、「ほっといて下さい、私一人で生きていけますから」なんて声が聞こえてきそうです。
種子の付け方ひとつとっても、植物種によって全く異なる生存戦略を取っているのが面白いですね。ラッカセイは種子を地面に隠していますし、マンゴーやアボカドは美味しい果実の中に巨大で堅い種を包み込んでいます。イネやムギは種子をヒトの主食とし、ヒトを使役し栽培してもらう生き方を選び、アサガオは種子を有毒にしつつ色彩変異しやすい花弁でヒトに愛でてもらうツンデレとして生きてきたわけで。
進化論なんてたいそうなものではありませんが、生き物に対するそういう見方を長男にも身に付けて欲しいところです。全部とは言わないまでも、ボクの話の一割でも覚えていてくれたら嬉しいです。
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