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■国語力と読書

2018.04.12(16:15) 65

学生時代にどうしても国語も指導して欲しいと頼まれ、高校生に国語の家庭教師をしたことがあります。結論的にはボクのなかで手応えはなく、「もう国語は教えたくないな…」という苦い記憶だけが残りました。

大学受験にも国語の有名講師がいれば定番の問題集や参考書もありますが、ボクはどれも触れたことがありません。あ、古文や漢文は別です、現代文の話です。

自分がなぜ国語が得意だったのか。

確かに、平均よりはかなり多く本を読んできました。が、決して本の虫ではありませんでした。

また、全然本を読まないのに国語が得意な同級生や教え子の姿も見てきました。

結局、国語の試験で武器になるのは

(1) 語彙力
(2) 論理力

の他に、

(3) 幅広い知識

という要素があるのだと思います。ボクは(3)の、いわば雑学的な知識に今まで助けられて来ました。

例えば評論文が出題されたときに、その内容を既に知っているのです。だから問題文もすらすら読めますし、謎解きのように読み込まなくても「常識的にこういう答えなんでしょ」と辿り着くわけです。

読書で語彙は身に付くでしょうが、雑学も身に付くかというと、決してそんなことはありません。書籍の種類にも依りますし、そもそも読者がその内容にどれだけ深く関心を抱き、吸収しようとするか、そういう姿勢が重要です。同じ本を読んだからといってみんなが同じように成長するわけではありません。もちろん記憶力の差もあります。

読書しているのに国語の成績が伸びないというのは、案外そういうところに盲点があるのかも知れません。同じ食べ物を摂っていても栄養の吸収は個人差があるのと似ています。

(2)の論理力は別に読書すれば身に付くものでもありません。強いて言えば、読書で一番期待出来るのは(1)の語彙力でしょうが、これもまた、理解の怪しい言葉をこまめに辞書で調べる習慣のある人ならば、あえて読書に膨大な時間を注ぎ込む必要もないかと思います。

では、なぜボクが娘達に読書を奨励し、妻に怒涛の絵本読み聞かせをお願いしているのでしょうか。

答えは単純で、ボクが読書好きだからです。読書の喜びを知らない子に育ててしまうのは海で遊ぶ楽しみを教えないようなものだからです。決して国語力のためではありません。

いずれ、子ども達にボクが心動かした小説を読んでみて欲しいですし、その内容について語り合えれば幸せですし、それで人生が豊かなものになれば言うことありませんからね。
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