今は殆ど歌われることのなくなった唱歌ですが、是非とも子どもに伝えたい一曲です。映画『二十四の瞳』の最も涙を誘うシーンで使用されており、娘には馴染みがあります。
原曲は米国で作曲されたそうですが、美しい旋律に上手に寄り添う歌詞もまたなかなか味わい深いものです。歌詞を娘に解説するだけでも時間がかかります。以下、全文を転載しますが、娘の理解を助けるために、一部オリジナルにはない漢字を使用しています。
仰げば尊し 我が師の恩
教への庭にも 早幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば
一行目と三行目が対句で韻を踏んでいます。「教への庭」は「学びの庭」と同義で学舎のこと。「年」を「とせ」とも読むのは千歳飴や千歳空港からも了解可能でしょう。「いと疾し」の「いと」は枕草子頻出「いとをかし」の「いと」と同じ。「疾し」は「利し」と同じで、素早い、鋭いことを表します。「鋭利」の「利」はここから来ているわけですね。「疾」の字体としては人が矢を射られて苦しむ様を表していて、そこから「疾患」「疾病」「痔疾」などの言葉が作られました。速いという意味では「疾風」「疾走」なんかは押さえておいて欲しいですね。「今こそ別れめ」は「こそ…め」の係り結びであり、「別れめ」は「別れむ」の已然形。「まさに…しよう」という意味ですが、初見だとつい「別れ目」と誤解しやすいですね。
互ひに睦みし 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名を揚げ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
「睦む」は仲良くするという意味ですが、お正月に親族が集まって親睦を深めることから一月を「睦月」というのでした。意味から入れば月の異名も忘れにくいですね。「やよ忘るな」「やよ励めよ」の「やよ」は感動詞。「身を立て名を揚げ」は立身出世、功名のこと。
朝夕馴れにし 学びの窓
螢の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
「なれる」には「馴れる」、「慣れる」、「狎れる」、「熟れる」などがありますが、大辞林によりますと「馴れる」は人と馴染み親しむこと、「慣れる」は習熟すること。「狎れる」は親しみ過ぎて礼を欠くことで、「なれなれしい」の表記は本来これなんでしょう。「熟れる」は熟成して味が良くなることで、熟れ鮨に使われますね。「学びの窓」は同窓というようにそれ自体で学舎という意味もありますが、二行目に蛍雪の功が続きますから、文字通り学校の窓の理解でいいんでしょうね。唱歌『蛍の光』はもちろん佐佐木信綱『夏は来ぬ』でも「窓近く蛍飛びかひ 怠り諌むる夏は来ぬ」とあるように、勉学といえば窓辺の蛍雪です。「忘るる間ぞなき」も係り結び。古典文法は娘に教えていませんが、係り結びは「春な忘れそ」や「人こそ見えね」、「わが世とぞ思ふ」、「住江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」のように、百人一首などの有名和歌にも頻出ですから特に違和感なく受け入れているようです。自然に古文を読む、という当初の目標は達成できているのかな。
というように、唱歌は一曲一曲がなかなか味わい深いですね。もちろん今どきのJ-POPだってそうなのかも知れませんが、ボクがそちら方面にとても疎いので…。
「いま、学校で『鬼滅の刃』ってマンガが流行ってるんだけど、父ちゃん知ってる?」
「知らないなー。あ、探していた『ハイカラさんが通る』出てきたから読んでみたら」
…時代遅れですなあ。
原曲は米国で作曲されたそうですが、美しい旋律に上手に寄り添う歌詞もまたなかなか味わい深いものです。歌詞を娘に解説するだけでも時間がかかります。以下、全文を転載しますが、娘の理解を助けるために、一部オリジナルにはない漢字を使用しています。
仰げば尊し 我が師の恩
教への庭にも 早幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば
一行目と三行目が対句で韻を踏んでいます。「教への庭」は「学びの庭」と同義で学舎のこと。「年」を「とせ」とも読むのは千歳飴や千歳空港からも了解可能でしょう。「いと疾し」の「いと」は枕草子頻出「いとをかし」の「いと」と同じ。「疾し」は「利し」と同じで、素早い、鋭いことを表します。「鋭利」の「利」はここから来ているわけですね。「疾」の字体としては人が矢を射られて苦しむ様を表していて、そこから「疾患」「疾病」「痔疾」などの言葉が作られました。速いという意味では「疾風」「疾走」なんかは押さえておいて欲しいですね。「今こそ別れめ」は「こそ…め」の係り結びであり、「別れめ」は「別れむ」の已然形。「まさに…しよう」という意味ですが、初見だとつい「別れ目」と誤解しやすいですね。
互ひに睦みし 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名を揚げ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
「睦む」は仲良くするという意味ですが、お正月に親族が集まって親睦を深めることから一月を「睦月」というのでした。意味から入れば月の異名も忘れにくいですね。「やよ忘るな」「やよ励めよ」の「やよ」は感動詞。「身を立て名を揚げ」は立身出世、功名のこと。
朝夕馴れにし 学びの窓
螢の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
「なれる」には「馴れる」、「慣れる」、「狎れる」、「熟れる」などがありますが、大辞林によりますと「馴れる」は人と馴染み親しむこと、「慣れる」は習熟すること。「狎れる」は親しみ過ぎて礼を欠くことで、「なれなれしい」の表記は本来これなんでしょう。「熟れる」は熟成して味が良くなることで、熟れ鮨に使われますね。「学びの窓」は同窓というようにそれ自体で学舎という意味もありますが、二行目に蛍雪の功が続きますから、文字通り学校の窓の理解でいいんでしょうね。唱歌『蛍の光』はもちろん佐佐木信綱『夏は来ぬ』でも「窓近く蛍飛びかひ 怠り諌むる夏は来ぬ」とあるように、勉学といえば窓辺の蛍雪です。「忘るる間ぞなき」も係り結び。古典文法は娘に教えていませんが、係り結びは「春な忘れそ」や「人こそ見えね」、「わが世とぞ思ふ」、「住江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」のように、百人一首などの有名和歌にも頻出ですから特に違和感なく受け入れているようです。自然に古文を読む、という当初の目標は達成できているのかな。
というように、唱歌は一曲一曲がなかなか味わい深いですね。もちろん今どきのJ-POPだってそうなのかも知れませんが、ボクがそちら方面にとても疎いので…。
「いま、学校で『鬼滅の刃』ってマンガが流行ってるんだけど、父ちゃん知ってる?」
「知らないなー。あ、探していた『ハイカラさんが通る』出てきたから読んでみたら」
…時代遅れですなあ。
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